僕の住んでいたところの変遷史
今週のお題「引っ越し」
1
僕は札幌で生まれました。
でも、僕の人生のなかで1番最初の記憶は、室蘭という町に住んでいる僕です。
犬を飼っていたことしか覚えていません。
室蘭という町は、北海道の中南部にある町です。
昔は大きな製鉄所があって栄えた町でした。今はどうかは知らない。
2
その次の記憶は、札幌市の真駒内(まこまない)という町に住んでいるときの僕です。
僕が幼稚園から小学校3年生までのあいだ過ごしていました。
夏のプール授業が終わって水着を脱ごうとしましたが、水着(いわゆる海パン)のひもの結び目が固すぎて脱げず、びしょびしょの海パンの上からズボンをはいてそのあとの授業に参加した、そんな記憶が僕の頭の中に残っています。
このころ、ドラマ「北の国から」を見ていた記憶があります。
3
小学校3年生の半ばに僕にとっての初めてとなる引っ越しを経験しました。
札幌市の南区から白石区へと引っ越しをしました。
このときの引っ越しは、我が家となるマンションを購入したためです。
小学校3年生半ばから小学校5年生までを過ごします。
ガンダム、オレたちひょうきん族、ファミコン等にハマっていました。
4
小学校6年生のときに芦別市という町に引っ越しをしました。
親の仕事の都合です。
芦別という町は、北海道の真ん中らへんにあります。富良野のとなりです。
この町には2年間住みました。
河川唯(かわゆい)・宇留千絵(うるちえ)というヒロインが2人いましたが、僕はだんぜん唯ちゃん派でした。
5
中学2年生のときに、札幌市白石区の我が家に戻ってきました。
それ以来、高校卒業するまでをそこで過ごしました。
眉村卓の学園ものSF『なぞの転校生』、井上ひさしの『吉里吉里人』などを読んでいました。
井上ひさしの小説は、当時出版されているものほとんどを読んだ記憶があります。
高校3年生のころにカート・ヴォネガットの『スローターハウス5』を読み、それ以来ヴォネガットファンになりました。
6
大学入学とともに、北海道を離れ京都に引っ越してきました。このときはじめて1人暮らしをします。
京都の最初の住まいは、京都市右京区は妙心寺というお寺の近くです。
あいかわらず、カート・ヴォネガットの小説を読んでいました。
ジョン・アーヴィングの小説『ガープの世界』を読んだのもこの頃。アーヴィングの小説も一通り読むほどの大好きな作家です。
村上春樹などもこの頃読んでいたと思います。
村上春樹の初期の小説には、パスタを茹でながらビールを飲む場面がよく出ていた印象が残っています(あくまで僕の印象記憶なので、実際にはそんな場面がないかもしれません)。が、このときの印象の影響を受けて僕は昼間からビールを飲むようになりました。なんかかっこいいと思っていました。でもお酒に弱いので、飲んだ後はまともに活動できたためしがありません。
7
軽トラを借りて、友達に手伝ってもらい引っ越しをした記憶があります。
ここから社会人としての僕の人生が始まりました。
僕の社会人としての人生は、迷いっぱなし。
それでもヴォネガットの小説は繰り返し読み続けていました。
小説家になりたいとも思っていました。
そのどこかで結婚をしました。
8
我が家となるマンションを購入しました。
そのマンションに住んで、17~18年が経ちます。
ひとところに住み続けた年数は自分史上だんぜん最高記録です。
この町でも、繰り返しヴォネガットを読み続けました。
9
こうして振り返ってみると、僕はこれまでに7つの家に住んできたことが分かりました。
幸いにして、住んでいた場所が嫌だったことはありません。それは今でもそうです。
たぶん、これから引っ越しをする予定はなく、今の住まいに住み続けていくと思います。
それが良いとか悪いとかは別にありません。
10
僕は、前に住んでいた場所を訪れるのが好きです。
「懐かしいなぁ」
「あのときどんなこと考えていたかな」
「あ、この店まだ続いている(その逆もしかり)」
ってなことを感じながら前住んでいた町を歩きます。
僕が死ぬまでには、もう一度、北海道の僕が住んでいた町を訪れてみたいものです。
みなさんは、前に住んでいた場所を訪れたりすることがありますか。
つづく。