ブーフーとブールのあいだ

between boohoo and Boole

昔はどんな子どもだったのか

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今日のお題は、「昔はどんな子どもだったのか」?



さて、さっそく当時の僕に聞いてみましょう。




「どんな子どもでしたか?」




「とにかく目立ちたがり屋だったと思う」(今はその片鱗すら残っていないが)

 

「クラスの中でも、とにかく大きな声を出していたかな」(今はどちらかというと無口です)

 

「僕は足が速かったり、スポーツが上手だったりという感じではなく、当時はそのことについて多少なりともコンプレックスのかけらみたいなものを感じていたんだ」(小学校の頃はスポーツができる子が女の子にもてたりしてたからね。だからスポーツじゃないところで目立とうとしていたのかもしれない)

 

「僕は小学5年生のときに選挙に立候補したことがあるんだ。なんの選挙かと言うと小学校児童会役員の選挙。立候補したのは児童会会長といった格好良いものではなく、これ覚えてないんだけれどもたぶん書記役かそんな感じの役。当時の小学校では児童会役員の選挙が毎年行われていました。立候補をする。選挙応援人がふたりいたかな。そのふたりとともに、休み時間ごとに名前を書いたたすきをかけて校内を歩くんですよ。「このたび立候補した田中(仮名)です!清き一票よろしくお願いいたします!」こんなことを言いながら校内を歩きます。各教室にも入ってよろしくお願いしていきます。まさに大人の選挙の街宣活動さながらです。すごいですよね。こんなことしているの。こういうのは一般的には、クラスの代表があつまって、その代表が児童会を構成するっていうのが多いのではないでしょうか。

 

なんで立候補したのか、全然覚えていないんだ。何かを訴えたかったなんてこと微塵もないしね。たぶん、たぶんね、、目立ちたかったってだけだったのだと思う。だって目立ちたがり屋だったから。たすき掛けて校内を名前を連呼して歩いていたら、そりゃあ目立つよね。

目立ちたがり屋にとってうってつけ。

 

クライマックスは、全校生徒が集まる中での演説会。体育館に全児童が集まって(いや確か3年生以上だったかもしれない。1年生、2年生はまだ選挙権が無かったんではないかな)、立候補者は壇上から演説をするんだ。

 

まるで映画「帝一の國」のようです。(ちょっと良く言い過ぎました)

 

結果を先に言うと、僕は、落選するんだけれども、競合がでるほど立候補者がいたっていうのがなんだかすごい。だって今、児童会なり生徒会なり役員になりたい人、会長になりたい人って言って手を挙げる人っているのかな。

 

そのとき落選をするんだけれども、ちっとも悔しくなくて、そういう感情がひとつも記憶として残っていなくて、これってたぶん目立ちたいっていう目的を果たすことができたからなのではないかなって、あとから振り返るとそう思うわけです。

 

でも、今でも覚えていることがあって、演説会を終えた後に先生からかけてもらった言葉が今でも覚えていて、言葉云々より、先生が僕のことをちゃんと見てくれていたっていうことがすごく記憶に残っています。

 

演説会、これまで目立ちたがり屋できていた僕もさすがにこの壇上からの演説は足が震えるほど、っていうかマジ足が震えてました。当然、何を話したなんか覚えていない。演説が終わるとステージ上で他の候補者と並んで待機をします。そのとき僕は、ずっと下を向いていました。自分では気づかなかったのですが、先生が言うにはずっと下を向いていたって言うんだ。そして演説会が終わったあと、先生は僕にこんなことを言ってくれた。「壇上でずっと下を向いているのは格好悪いな。ああいう場面では背筋のばして視線をしっかりと前に向けた方が断然格好良いんだ」って。その時の先生の言葉はすんなりと受け入れることができたし、先生は僕のことを思って、僕のこれからのことを思ってくれて声をかけてきてくれているって思えてすごいうれしかった記憶があります。普段の先生は注意ばかりしていた先生だからこそ余計にうれしかったんだろうね。うまく言語化できないけれど、先生に声をかけてもらったってことがうれしかったってことがとても印象に残っています。」



普段の生活のなかで子ども時代を振り返ることってなかなかないけれども、子ども時代を振り返るってのもよいものですね。

 

宝物です。

 

終わり

 

 

記事の中ででてきた映画はこちらです。

うちの高校生の息子は、この映画にはまり何度も繰り返し見ています。