ブーフーとブールのあいだ

between boohoo and Boole

これまでで1番のチャレンジ(#1ヶ月書くチャレンジDAY21)

 

 

今日のお題は、これまでで1番のチャレンジです。

 

僕のチャレンジの話をしますが、「人生にご用心」という話でもあります。



それは、僕の場合は大学受験。

 

高校入学とともに平日は4~5時間、土日は10時間くらい、毎日、そして3年間、勉強を続けた。

 

大学合格というチャレンジのために取り組んできた。

 

こんなに頑張ったことは、僕の人生のなかで他には見当たらない。



でも、振り返ると、このとき僕の心を動かしていたものがいけなかったって今思う。



高校進学は、自分ではもう一つ上のランクの高校に入りたかったが成績がかなわず、ランクを下げ、自身の成績でほぼ確実に入れる、そんな高校に入学した。

 

この時の気持ちが僕を駆り立て、大学は自分が入りたい大学に入るという決意をした。

だから、毎日勉強をした。



高校進学時になぜ一つ上のランクの高校に入りたかったのか。

 

「すごいね」

「頭良いね」

 

なんて言われたかったんだと思う。きっと。

 

高校進学の際には、それがかなわなかった。

ちなみに、高校時代は友人にも恵まれ、それなりに楽しい学校生活を送ることができたと思っている。

 

高校進学時にかなわなかった思いを大学進学時には果たしてやろう。

こんな心が僕を突き動かしていた。

 

大学進学は、そんなよこしまな思いがかなった形になった。

 

しかし、僕の人生はそれ以降、本気のチャレンジをすることがなくなった。

 

自分のよこしまな気持ちを満足させてくれる大学に入り、それで満足。

また、いろんな学生が集まってくると、僕なんかよりすごい人がたくさんいる。

 

結局、ゴールに達した感を勝手に感じ入り、ここまでくればなんとかなる的な思いも多少はあった。そんなものだから、それ以降30年間、流されっぱなしの人生だ。



今から振り返ってみると、見栄だったり、虚栄心であったり、よく見られたいって気持ちは、確かに人を動かすエネルギーになるっていうのが、大学受験のために3年間毎日勉強したという行動につながっていたことで実感をした。まあ、それはそれですごいエネルギーだね。でも、どのように生きていくかっていう際の動機にしてはいけないってことも30年経った今思うのである。



若い頃、多くの人がこれからの人生をどう生きるか、何をしたいのか、なんていうことに悩む時期だ。昔からそうだし、これからもきっとそうなのかもしれない。

 

そのとき、見栄だったり、虚栄心、よく見られたいって気持ちを全部捨て去って、捨て去って、捨て去った後になお自分の心に感じてるものは何だろう、とか、自分がやりたいこと、役にたちたいこと、ということを考えるために若い頃はとことん時間を使ってみたかった。

 

時間がたっぷりあったはずだから。

 

50歳になろうとしている今も、見栄や虚栄心が出てくるからややこしい。

 



最後に、カート・ヴォネガット10作目の長編小説「デッドアイ・ディック」より、今日のお話にぴったりの言葉をみなさまにお届けします。

 

 

「人生にご用心!」 

 

 

 

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